当スクールに通っていただいている、ご家族の実話シリーズです。
息子が引きこもりになって4年…
ありたきたりだけれど
正しさにこだわりすぎても、良いことはないです。
もちろん、人を傷つけたり窃盗などの犯罪行為はよくありません。
そういうレベルの話ではなく・・・・
例えば、あまりに正しくてスムーズだと
映画もドラマも面白くない、ということ、ありますよね。
ののしりあいやぶつかりあい、行き違いも経て
なんだかんだ落ち着いたり、むずがゆさや曖昧さを残したまま
それでも なんだかんだ落ち着いて
いつの間にかまとまったりしていく・・・・
そういうストーリーにこそ、面白みがあるのかもしれません。
これって、人生にも当てはめてられるかもしれませんね。
あ、もちろん私は何の専門家でもありません。
ですが、この当たり前のことがすっぽり抜けていたということを
人生の半分以上を過ぎて、知らされることになりました。
同じことなら、この経験を味わっておかないと
もったいないような気さえします。
いわゆる、子どもの不登校&引きこもりが学びになった、という、アレです。
とはいえ、
実は、今日、
我が子が突然の完全不登校&引きこもりになった日から
4年間もの月日がちょうど経過しました。
5周年。本当なら、もっと喜ばしいことで使いたい言葉だけれど。
あの日から、4回ずつの季節を見送ったのです。
もしも我が子が健康的に過ごせていれば、こうではなかったはずの、4年間。
この日を迎える前は <落ち込む私、嘆く私> を想像していましたが
ちょうど今朝、他の目線そらし活動のことで楽しい気づきがあったので
良い気分になり すっかり忘れていました。
しかし『何か忘れてるな。』と、朝からパート勤務のために歩いていると
「はっ!5年目に入った。」と、気づいてしまいました。
この時も、脱力して動けなくなるほどかと思いきや、スタスタと歩き
絶好調で働けてしまいました。
今は自分に言いたいです。
「よくやった、私。よく頑張ってきた。」
「今は楽しいということを感じられる。」
「これからは、もっと豊かさを感じることができる。」
もちろん、だからと言って かつて専門家さんから言われたように
「お母さん、引きこもりでいいじゃない!」と言われたら、
私は確実に反発心を覚えるでしょう。
そして 今の私は、誰かに「引きこもりでもいいじゃない。」など言われても
ショックを受け目の前がクラクラになり、
言われっぱなしで心を隠したまま反撃できない、
ということはないでしょう。
4年の引きこもりという経験が成す意味
ところで ニュースなどで知りましたが
最近、文科省で不登校に関してアウトリーチの動きを強化しようという動きがあるようです。
私からすれば「今さら!?」という感覚です。
実際にどんなことが行われるのか、もちろん私にはわかりません。
孤独の中、ただ、なすすべなく沈んでいった息子
このまま放っておいてはいけない、という危機感を早くから感じていた私のあがきは
その当時は「お母さん、落ち着いて。」「見守って。」となだめられるだけでした。
そうじゃない、そういうことじゃない
溺れながら言葉を発することができないのと同じように、
的確な言葉も出てこず
私の意図は伝わらなかったと思います。
あの時の孤独感、恐怖の感覚、かすれたSOS
きっと、レイヤーの違うところで、データとして残るでしょう。
今は 我が子 そして 私 それぞれが、
きっと違うステージにいます。
決して、この長期間が両手を挙げて喜ぶようなことではなかったとしても
「無駄だった。」と言いたくないと思います。
それくらい強くなった、というよりも
それくらい緩くなった、ということかもしれません。
まだ我が子は、デフォルトのエネルギーに達していないのか
ほぼほぼ、サナギ生活です。
家の中で何かを学ぶとか将来の役に立つような勉強をするなどではなく
Youtubeやアニメ、ゲームの日々
これが”素晴らしい時間”なんて、一緒に生活している人間として
簡単に言える言葉ではありません。
ただ、生きている時間 未来に流れる時間
いつか芽生えに繋がる時間
正しさだけでは乗り越えられない
そんな経験を積ませてもらえているのだと思います。
当スクールには、様々な状況で、様々な悩みを抱えていらっしゃる保護者やご家庭の方が多数通っていただいています。
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