子どもに「言うこと」は、誰のための「必要」でしたか?

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親の「正しさ」を手放す勇気が、支援の扉を開けてくれた

幼稚園バスの見送り後の雰囲気の中、若いお母さんたちの賑やかな会話を耳にしました。

「うちの子、本当に言うこと聞かなくて困る」「集団行動が苦手みたいで…」と、

皆、小さなお子さんとの日々の格闘を語り合っています。

中でも気になったのは、「習い事に対する姿勢」を心配するお母様の様子でした。

将来のため、あるいは集団に慣れさせるためにと、熱心に続けさせようとしている親心は痛いほど分かります。

その時、ふと、ある問いが私の頭をよぎりました。

私たち親が子どもに『言うこと』は、そもそも誰のための『必要なこと』だったんだろうか?

それは、今、IPELさんの居場所に息子がお世話になっている私自身の過去に深く突き刺さる問いでした。

習い事も「わかった」も、親の不安が隠れていませんか

親が子どもに「言うこと」を聞いてほしいと思うのは、誰でも同じです。

でも、その奥には「世間から浮いてほしくない」「親としての責任を果たしたい」といった、

親自身の不安や都合が隠れていることがあると、今は痛感しています

あの時、耳に残ったのは、「習い事」や、言葉では「わかった!」と返事をするのに、その通りに行動しない子どもの姿でした。

習い事、本人にとっては「不要なこと」なのでは? そして「わかった!」という言葉は、

「お母さんが言ったことは理解したよ」というサインであって、

だから、自分もそうするよ」という実行の意思表示ではないのかもしれない。

かつての私は、子どもが自分の期待通りに動かないと、「私の正しさ」や「私の経験値」で状況を判断し、

レールに乗せようとしてばかりでした。

子どもが示す抵抗は「ワガママ」だと決めつけ、行動の裏にある「本人が今本当に感じている困りごと」や

心の奥底にある純粋な必要性」に目を向ける余白がありませんでした

今思えば、子どもは、親の価値観に合わない自分を否定され続けた結果、

自分らしさを守るために、親の視線や期待が届かない場所、

つまり「引きこもり」という名の安全地帯へ避難を選んだのかもしれません。

「反省したつもり」でも続く、親の正しさの呪縛

当に難しいのは、頭で理解しても、すぐに親の振る舞いを変えられないことです。

息子が思春期を過ぎ、大人になろうとしている今も、私は時々、

無意識に「私の正しさ」で息子をジャッジしようとしている自分にハッとします。

「私はあれほど反省して、もう二度と口出ししないと誓ったつもりだったのに…」

この親の葛藤は、私だけではないはずです。

長年培った親としての価値観は、私たちの「空気」となって

成長した子どもの「自立心」を奪ってしまうほどの影響力を持つのです。

もちろん、引きこもりは決して親の責任だけではないと、頭では十分に理解しているつもりです。

しかし、息子の状態を目の当たりにしていると、

やはり私自身の関わりが大きく関わっていると今でも思ってしまうのが、正直な気持ちです。

親が変わると、世界が動き出す

では、私のように悩む親御さんが、今からできることは何でしょうか。

私たち親子が支援者さんの居場所にお世話になる中で学んだのは、まず親が「自分の正しさ」を脇に置くことです。

お子さんの行動を「評価」したり、「ジャッジ」したりするのを、少しずつ手放してみる。

「言うこと」を聞かせることに執着するのをやめる。

そして、「今、本人が何を感じ、何を必要としているのか」を、ただ静かに「観る」ことに集中する。

子どもが「引きこもり」という状態にあるのは、親の失敗ではありません。

それは、親子関係が、今、「もっと優しく、もっとフラットな関係に変わりましょう」と、

私たち親に教えてくれているサインだと捉えてみませんか。

もちろん、ご自身が『誰かにそう言われたから』、ではなく、主体的に「必要」と感じたならば。

親が変わることで、少しずつ、お子さんの世界が動き出すのを、私は今、感じています。

子育てに悩むお母さん、どうか一人で抱え込まないでください。

あなたの深い内省は、お子さんとの新しい関係を築くための希望の光です。

もし心が疲れているなら、私たちがお世話になっているIPELさんのような、信頼できる場所に頼ってみてくださいね。

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