当スクールに通っていただいている、ご家族の実話シリーズです。

出会いとトキメキの春
春は、区切りの季節ですね。
なんだかんだ、出会いとトキメキの春です。
そうはいっても、サナギ生活の息子にとってはもう何回も見送ってきた「春」です。
何もしないままに、ところてんのように押し出されながら
「中学校を卒業」した息子を見ていた私には
なんとなく引っかかりを感じてしまっていた春・・・・
それに最近「春は活動的になるから、息子さんにも変化があるかも?」
と、知人から言われたりもしましたが
もう今更、『春だからって何?』とも思ったり(笑)。

見えなかった部分が見えてきているような・・・
ただ、この春は、なんとなく
彼自身のエネルギー値が上がっているのか
これまで見えなかった部分が見えてきているように感じます。
それは、本当に小さな変化です。
一般的に、サクサクと道を歩める人々たちにとっては
全く視界に入らないようなそんな小さな変化です。

小さな変化
5年前、4年前、3年前・・・
もどかしいほどの時間を経過し
それでも2年前、1年前、と
その違いが、日常のささやかなところに見えてきます。
振り返って気づくこと
その時々、私の方の焦りと苛立ちが買っていて、
見過ごしてしまったり、気づかなかったようなこと
今だからこそ、気づくこと
そんなものが、見えてくるのです。
そして、この過程を経験することが必然だったかのようにも感じるから不思議です。

もどかしい気持ち
でもこれは決して、美談ではありません。
ただ 淡々と、公平に、時は過ぎます。
本当に放っておいたら一体、今のサナギ息子の様子はどんな感じだったのか・・・
比較検証のしようもないのですが
ただ本人の意思に任せると言う、
なんとなく聞こえの良い対応を選択しその結果が「放置」や「隔離」だったとして
いったいこんな春のムードを感じることがあっただろうか?と思うのです。
引きこもっている人に対して、”ただ見守るべき”、というのは暴論に等しい
ある心理の専門家さん(私自身がオンラインの勉強会でお世話になっている方)は
「引きこもっている人に対して、”ただ見守るべき”、というのは暴論に等しい。」と呟いておられました。
私もそう感じています。
”支援”というのは本人に届かないと、意味がありません。
本人が気づくか気づかないか、受け入れるかどうか
それは別としてアプローチをしていかないと、支援では無いと思うのです。
形に見えなくても、潜在意識のどこかに響くようなそんなささやかな関わりも支援になります。
見た目、分かりやすい変化がなかったとしても働きかけを諦めては、もったいないですよね。
もちろん、段階や状況によって、対応の違いはあるでしょう。
遅々として進まないその様子に、いかに諦めず、様子を見て 柔軟に対応をしていく
それは、時計の針を追うような生活をしていたら理解できないことでしょうしとても途方もないことです。
”ものごとはきっと良い方向に進んでいく”
そんな信念も必要だと思います。

「今、できること」にトライしていく
諦めつつ 諦めないで
ほどほどのところを探っていく
一筋縄ではいかない、と感じる場面も多いけれど
根拠を探すパワーがあるならば
「今、できること」にトライしていく
コツコツと辛抱強く回復を信じて過ごしていく
いわゆる「時薬」と共に・・・
ちょっとずつ、私も息子も、「名目だけの中学校卒業」を本当に卒業していくのだと感じています。
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