~迷えるこひつじ  桜の季節に考察~

当スクールに通っていただいている、ご家族の話シリーズです

ちょっと歩くと、あちこちで桜の花が咲いています。
新年度と重なるタイミングなので複雑な感情を経過しながら 
とうとう息子の引きこもりから四度目の春を迎えました。
一言で複雑な感情と言っても、色々ありました。

一度目の春は、まさに悲劇のヒロイン、自虐、自責、いら立ち、焦り、恐怖、怨念の真っ只中で
「中卒でどこにも所属なくひきこもっている悲劇の息子を生み出した愚かな母」を演じ
二度目の春は、おぼつかなくとも前向きでいなければという意思と、そうでないエゴとで引っ張り合い
三度目の春は、あらためて、『この状態ってやばいじゃん。』という想いに囚われる自分と決別しようとし
四度目の今、やっと、何にも縛られず、ふんわりとした色合いや可愛らしさを味わえていることに気づいてきました

同じ事象で 見えているようでも、見えてないものや気づいてないことはたくさんあるんですね。
これがいわゆる、「感受性」や「感度」というヤツなんでしょうか?

・・・でも どうやって、どんな風に変化したか、など、今の私にはあまり重要ではないような気がします。

それを正確に解明しようとする思考パターンは、”物事が正しいか、そうでないか”に拘ることに似ているのかもしれません。もはや正しいかどうかなんてすっとぱして、そんな枠組みから離れた方が楽なのかもしれませんから。

・・・なので、思いつめない程度に考えたのですが(笑)

息子の回復につながることはなんだろう、と、迷走しながらも

良いこと(に見えること)に対しては、全力全開で応援したいという気持ちで突っ走った(ように信じ込んできた)私の記憶が視界をせばめていたのかもしれません。で、その【良いこと】を、私が全力で見つけていかないといけない、という思い込みも、また同時に存在しており、いつまでたっても納得のいく地点にたどり着けずに自分のエネルギーをすり減らして感受性も鈍くしてきた、ということかもしれませんね。

  長く緊張状態にあると、感覚が擦り切れてきてしまたり、朽ちてきてしまったり

私は 良いこと 良くないこと サナギ状態の息子に対して、かなり微細なところまでビッシリ観察してジャッジしようとしていたんだと思います。

そしてそのことを声の表現などで発するかどうかは別として、しょっちゅう息子には伝わっていて、同時に、透明で重い負担を背負うことを強いていたようにも感じます。

ほんと、いらんことばかりしてますね!私(笑)。

よく「お母さんは自分を楽しませることをして」とアドバイスとして言われるのは、こういうところだと思うのですが、私の場合は自分自身の楽しませ方の研究をすることが、まず必要でした(笑)。

  「YES」か「NO」は ”理想の状態”に対しての答え合わせではない

気づいたところで タイムスリップできないし、

その私の黒い過去を「真面目」に細やかに批判しても、新しいことは始まりません。
あまり拘ると、何のための「真面目」なのか、誰にとっての「心地よさ」に繋がるのか見失ってしまいそうですよね。

息子が好きなこと、楽しみたいこと、触れてみたいこと、チャレンジしたいこと

・・・彼自身の心地よい気づきの中から 桜が開花するように、

彼の次のステップは出現するのかもしれないですね。

『ここまできたら、もうどうしようもないのかもしれない。』

私の心の奥底の声に冷静に耳を傾ける余裕が、ようやく生まれようとしているのでしょうか。

「このままでいいとは思ってない。」いつかこのように話してくれた息子の、本当の心の奥底の声が外側に表れてくるまでは、まだどれくらいの時間がかかるのか想像もできないけれど。

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